気づくことで世界は広がる

興味深く美しい映像があったので紹介する。

http://www.techinsider.io/color-blue-couldnt-see-until-modern-times-2016-3

No one could describe the color ‘blue’ until modern times
現代に至るまで人は「青色」を表現できなかった

In ancient times people couldn’t grasp the color “BLUE”
古代において人々は「青」という色を把握できていなかった

In “The Odyssey” Homer describes a “wine-dark sea”
(古代ギリシアの叙事詩)『オデュッセイア』でホメロスは「ワイン色の海」と描写しているが

The word “BLUE” isn’t used once in the entire book
その中で「青」という語は一度も使われていない

That’s because we didn’t see the color “BLUE” until much later than other colors
というのも私たちは青という色を、そのほかの色よりずっとあとになるまで見ることができなかったからだ

It was the last color to appear in many ancient languages
その色は多くの古代言語において最後の色として現れる

Such as Greek, Chinese, Japanese, and Hebrew
たとえばギリシア語、中国語、日本語、ヘブライ語など

And before the word “BLUE” there’s evidence people may not have seen it as we do now
さらに「青」という言葉以前には、人々が今のわたしたちのようには色を見ていなかったであろう証拠がある

Language historian Lazarus Geiger studied ancient texts and discovered a pattern
歴史言語学者のラザルス・ギーガーは古代の文書を研究しある型を発見した

Every culture first had a word for black and white or dark and light
すべての文明が最初に得た語は黒と白についてか、暗い明るいといったことについてのものだった

The next word in every language was red
その次の言葉はすべての言語において「赤」だった

Then yellow and green
それから「黄」と「緑」

And finally blue
そして最後に「青」

The first ancient culture with a word for blue was the Egyptians
青についての語があった最初の古代文明はエジプトだった

They were also one of the first cultures to produce blue dye
彼らは青の染料を産み出した最初の文明のひとつでもある

But could these ancient people see the color?
でも彼ら古代人はその色を見ることができたのだろうか?

Do you really see something if you don’t have a word for it?
あなたは言葉のついていない事柄を本当に見ることができるだろうか?

To find out, Jules Davidoff conducted an experiment with the Himba tribe of Namibia
そのなぞを解くために、ジュール・ダビドフはナミビアのヒンバ族と実験を行った

The tribe’s language doesn’t have a word for “BLUE”
彼らの言語には「青」という語がない

They were shown this diagram and asked which square was different
彼らは(緑色とひとつだけ青色に塗られた四角が並んだ)図を見せられ、どの四角が異なっているか問われた

Some could not decide and others took a long time to find the answer
幾人かは判断できず、ほかの人々も答えを出すのに長い時間をかけた

But when the Himba looked at this diagram they could immediately spot the outlier
だが(別の)この図をヒンバの人が見たとき、彼らは即座に異なった箇所を見抜いた

It’s this one
ここがその箇所(わずかに色味が異なっている)

They have many words to describe the color “GREEN”
彼らは「緑」を表現する多くの語を持っている

Davidoff concluded that without a word for a color it is much harder for us to notice that it is unique
わたしたちにとってある色についての言葉なしに、それが固有のものであると気づくのはとても困難であるとダビドフは結論づけた

So even though our eyes could probably see blue in ancient times
古代における私たちの目もおそらく青色を捉えられてはいるとは思うが

We may not have noticed it was unique until much later
それが独特のものであったとはずっとさきまで気づかないかもしれない

これは結構示唆に富んでいると思う。今見えているものが果たしてほんとうにそうだろうか、というのは私の人生観そのものである。
だがひとつ思うのは、「先にあるのは言葉ではなく、気づきであろう」ということだ。

人はある事象を認識できたとき、それを他者に伝える必要性が生じる。たとえば自分の目の前に動物が現れたとする。それが「ウサギ」であるか「クマ」であるかは大変な違いがある。ウサギは今夜のごちそうになるし、クマだったら逃げなくてはならない。だから同一視はしない。
植物だって食べられるものと毒性のあるものは見分けなくてはならない。だから名前をつけ仲間にも周知する。

同じことは今でも日常的に起こっている。あなたの友人が120色の色鉛筆セットを持っていたとする。あなたは塗り絵に挑戦しようと友人に「青色を貸して」とお願いをする。友人は確実に「青色ってどの青色?」と聞くはずだ。なぜなら青と呼べる色域に複数色の色鉛筆があるからだ。そこであなたは「藍色を」とか「群青色」とか「菫色」という。友人はその色を取ってくれるだろう。

あなたの友人が3色セットのマーカーを持っていたとする。あなたはスケジュールをマークアップしようと思って「青色を貸して」とお願いをする。友人が持っていたマーカーは「ピンク」「水色」「黄色」の3色であったが、間違いなく友人は聞き返さずに「水色」のマーカーを貸してくれるだろう。

つまり我々は対象を認識し特定できる環境下、状況であれば「ざっくりと」判断することができる。逆に条件に適うものが複数あり特定できない状況ではさらなる情報を必要とする。

虹色は何色かと言われれば日本人の多くは七色と答えるだろう。だが「虹色」を六色とする国もあれば五色、八色とする国もある。これも色鉛筆と同じことで、その人の色の認識にどれだけ収まるかという話である。「暖色」と「寒色」で認識すれば虹は二色であるし、もう少し細かくすれば「赤」「黄」「青」の三色であろう。では本当は虹は何色なのか。あえて言えば「無限」としか言いようがない。問題は我々観察者がどれだけ「間引いて」認識するかにかかっている。


逆に色の表現を増やしたければ、より多くの色を認識すれば良い。茶色にもぱっと羅列するだけで「琥珀色」「飴色」「ラクダ色」「きつね色」「焦げ茶」「キャラメル」…といくらでも出てくる。この調子でもっともっと茶色の世界を深く認識していけば、茶色だけでも何百色と我々は見ることができる。

色だけではない。日々の生活も人々も、「だいたいおんなじ」と括ることも可能であるが、静かに観察してみるといくらでも違いに気づくことができる。気づいた瞬間すべては「ユニーク」になる。その微妙な変化に気づくことが、新たな表現につながるのではないかと思う。「同じじゃないか」という人もいるだろう。その人にはどう説明したら良いか。私は、現時点での見解になるがどうしようもないと思っている。彼らは見ることができないのだ。ヒンバ族の人々が微妙な緑色をはっきり違うと認識できることに対しての我々の気持ちと同じだ。赤外線を感知することができるヘビからしたら藪の中のネズミを見つけられない人間なんてきっと信じられないだろう。魚や鳥、両生類や爬虫類の多くは紫外線を見ることができると言われている。だから表皮や羽毛などが人間が見ているのとは別の模様に見えていたりもする。彼らからしたら人はなぜこれが同じに見えるのか理解に苦しむ存在かもしれない。でもそう言われても私たちには見えないのだからどうしようもないのだ。

だけど、いつか見ることができたら、そこには新しい世界が広がっていることだろう。今自分に見えている世界がすべてでは決してないのだ。

20160402

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