新しいサイトのこと
以前から身軽に生きたい、とは思っているものの、なかなか実践するのは難しい。近年の懸案がパソコンのファイルやウェブサイトなどデジタルまわりの整理だった。
そんな折、先日ふと WHOIS で自分のドメインを調べてみると、取得年が2003年とあって唖然とした。もうとうに10年経っていたのだ。
ブログを始めたのはそれより幾年かあとになるが、それでも結構なアーカイブが溜まっている。溜まることがブログの価値ではあるのだが、身軽になりたいと最近とみに感じていた自分にとって、その「過去」はいささか重すぎる嫌いがあった。
そろそろこの荷は降ろしてもいいかもしれない。そう自然と思えたことは新しく始める潮時だった。ロケットがより高みに到達するために燃焼を終えたブースターを切り離すように、基本的に以前のサイトの内容を引き継ぐことはしない。ただやっている人間は同じなので、おそらくこれからもそう変わらないはずだ。
なぜそこまで新しいサイトにこだわるのか理由と呼べるものを思いつく限り挙げてみる。
- まずドメインが気に入らない。意味を込めすぎ、というか説明しすぎ。いかにも2000年代初期のネーミングセンス。
- いくつかのサイトに分散していたのでひとつにまとめたい。管理の手間を少なくしたい。
- ブログは「自分のログ」に徹しようと思った。誰のためにブログを書くのか。いつからか「誰かのために」書いていた気がする。初心に返って自分のために書こうと思ったのも理由のひとつ。
- この点に関して言えば、2009年にブログの名前を今回サイト名に採用した「n.on.log」に変更したのだが、それが伏線となっていたとは本人も今回初めて気づいた。成るべくして成ったというところか。
- この先10年20年、100年200年と考えたときに、このまま延々とブログ記事が溜まっていくのかと思うとぞっとした。このあたりで一度一掃したい。
- 写真をでかく載せたい。フォトログとも統合。
- サイト全体を WordPress で作りたい。管理が楽だから。
- ブログが主体になっていて最早親サイトの存在理由がはっきり言って、ない。例えば親サイトとブログの両方に自己紹介があるのが美しくない。
- ブログはとにかく「ブログっぽさ」を排除したい。
- これからのことを考えて、これからの自分に相応しいサイトにしたい。
- 真に長大なリストになるほど理由はあるのだが、ここのサーバ容量はそれを書くには少なすぎる。
ブログというと、だいたい形が決まってしまっている。
ヘッダーがあり、サイドに最新記事一覧が並び、カテゴリが並び、月ごとのリンクがあり、多くの場合広告で溢れかえっている。記事にはタグがつけられ、コメントフォームがある。
現に今回新しくサイトを作るに当たって、できるだけ削ぎ落とそうとしていながら「時系列アーカイブ」「カテゴリーアーカイブ」「タグクラウド」をどう配置するかでしばらく頭を悩ませた。習慣というのは恐ろしい。「これは外せないもの」と思い込んでいたのだ。
それでも疲れ果てるほどに考えていれば道は拓けるもので、数日後には「カテゴリもタグもいらないじゃん」と気づくのだが、いやはやただ身軽になるだけでも実に大変である。
自分の語ることをカテゴライズしたりタギングするなど、考えてみればおかしな話だ。カテゴライズするために語ることを制限する必要があり、タギングできないことを語るのはブログの世界ではコンテンツとして未熟ということである。これは自分がブログを書くことにある種の鬱屈を抱えていた理由のひとつでもあった。
結果、新しいサイトのブログではカテゴリもタグも設定していない。シェアボタンも廃した。コメントも廃した。ついでに「Powered by WordPress」もいらないだろう。まったくカテゴライズする必要のないブログの自由さといったら!
そもそもブログとは「ウェブログ」の略称である。ウェブログとは元々ウェブサイトのログを取るという意味であった。この記録(ログ)という語は航海日誌(ログブック)を語源とする。そしてログブックの由来は丸太(ログ)を流して船の速度を測っていたからである。
船の速度の単位は「ノット」であるがこれは結び目を意味する「ノット」と同じである。これは前述の丸太に一定間隔に結び目を付けた紐をくくりつけ、砂時計の砂が落ちるまでに幾つの結び目を繰り出したかで速度を測っていたことに由来する。
真っさらな航海日誌に書き記すかのようないわば純血のブログは、どこまで行っても自分の足跡しか残らない白銀の原野のようだ。ここまで辿り着くのに随分時間がかかったが、なんと美しい。
こんにちは、新しい世界。