墓標
13年ほど続いた以前のウェブサイトから、すべてを脱ぎ捨てて新世界へ踏む込むかのように始めたこのサイトも、この5月で丸3年が経った。
世の中にはブログを開設したものの、半年も経たずに更新が止まるなどよくあることだが、どうやら私はどう放っておいてもぽつぽつとなにかしら更新する質であるようだ。
このブログは誰のためでもない、自分自身のために書いている。それは今でも変わらない。
私は書くことで頭の中の
3年という節目にそれほど意味はないが、区切りが良いというのは一理あると思うので、ここでこのサイトの由来を書いておこうと思う。
新たなドメインを取得するにあたって、いくつか候補はあった。今となっては思い出せないが、それこそ紙に案を書き出してはああでもないこうでもないとしばらく悩んでいた気がする。
新しいドメインは私の中で動かしようのないものにしよう、と思った。
名前などを元にしたものはもう御免だった。名前は不変なものではないし、私という人間が変われば名もまた変わる。
自分にとって何かキーワードとなるような言葉も同じだ。いくら今好きでも大事でも指針となるようなものでも、何十年か経てば(あるいはもっと短い時間で)陳腐なものに成り果てるかもしれない。
私という器が、この先も同じように私たる存在である保証などどこにもないわけだ。
そんな中、安心感を覚えたのは数だった。数というものは楔のようなものだし、私という器の範疇の外側にある数字ならなお都合が良い。私がどう足掻いたところで手の及ばぬところにある数なら。
それは例えば、誕生日である。
誕生日は私に関わるものでありながら、中立で不変なものである。宇宙が歪もうと、地が割れようと、その一度時空に打ち込まれた楔は抜けることはない。
だから自分のサイトのドメインを誕生日にした。それは嘘ではない。
だが本当の意味は他にある。
プリンスの「Come」というアルバムがある。1994年発表の作品だ。私が13歳のときである。
兄がプリンス好きであったので、私は歳不相応にそのアルバムを当時知ることができた。今でこそ私の音楽ライブラリにあるものの、そのときの音楽としての内容は正直なところまったく記憶にない。たぶん当時は聴いていなかったかもしれない。まあ小学生や中学生あたりでプリンスを愛聴していたらそれはいくらか問題がある少年と言わざるを得ないだろう。
13歳の私が「ガツン!」とやられたのはそのアルバムジャケット、アートワークである。
Prince
1958 – 1993Come
そう、墓石に銘を刻むかのように、生年と没年を打ってしまっているのだ。
兄に聞くと、レコード会社との契約で揉め、プリンスはフラストレーションが溜まっていた。だが契約は契約だから反故にはできない。それでプリンスはどうしたか?
プリンスは、プリンスを殺したのである。「プリンスはもう死んだから」と。
そして彼は改名し、名はただの記号、シンボルとなった。彼はそのシンボルをどう読むのか決めなかったものだから、誰もそれを声に出して呼ぶことができなくなってしまった。おかげでラジオ DJ などは彼を「元プリンス」と呼ぶことになった。
The Artist Formerly Known as Prince(かつてプリンスとして知られたアーティスト)。The Artist という呼び名はここに端を発する。
私はこれにシビれてしまったのだ。自分で自分の墓標に銘を打つ。なんてかっこいいのだろう。
そう、このサイトのドメインは私の墓標なのである。サイトのホームページを表示すると、記事のタイトルよりもまず投稿日時が大きく掲げられるわけだが、それはドメインの生年に対応している。私が死んだときには、そのまま墓標として完成する算段だ。
このサイトは私の墓だ。
だから自分のことしか書かないし、自分の考えていることや、美しいと感じたものしか持ち込まない。もちろんそこには深い深いかなしみもある。つまり「n on log」というわけだ。
このサイトは最初からずっと死という大樹の木陰に佇んでいる。我ながらサイトの設計段階から一貫しているのはよくできてるなと思う。
世の中から見れば多少病的というか異常かもしれないが、幸い私は世の中のことなど知ったことではない。
この先何日、あるいは何年、何十年、何百年、このウェブサイトが存在し続けるのか分からないが、とりあえずまだしばらくは続くだろう。美しいものを残し、かなしみをいたわり、動物や植物を愛で、星を眺める。
私はブログを書こうなんて微塵も思っていないのだが、それでもなんだかんだとだらだら続くのはなぜだろうと3年を機に少し考えた。
もしかしたら私は日々、自分の墓を掘り続けているだけなのかもしれない。