誰がために髪を切る
私が「
https://ja.wikipedia.org/wiki/山崎直子_(宇宙飛行士)#人物
というわけで私がヘア・ドネーションを知ったきっかけは「油の吸着剤」としての利用であったのだが、現在多くの場合で寄付運動が行われているのは「医療用かつら(医療用ウィッグ、メディカル・ウィッグ)」の制作のためである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘアドネーション
私は元々、髪は長めのほうが落ち着くので肩につくくらいまではよく伸ばしていた。煩わしくなったら切るしかない髪の毛がなにかの役に立つというならばそんないいことはないと調べたものの、2010年頃は日本で髪の毛を寄付するという運動は目にした中にはなく(後述する JHD&C の設立自体は2009年)、髪の毛の送付を受け付けているのは海外の団体しかなかった。
日本でもあればいいのになと思いつつ時は流れ、数年経った頃に再度調べてみると、日本でも一般市民からの受付窓口ができ、送ることができるようになっていた。
癌の治療ではその副作用により髪の毛が抜けるというのはよく知られている。また原因不明の脱毛症というものもある。これは「最近抜け毛が多いな」というレベルのものではなく、立っているだけではらはらと髪の毛が抜け落ちていくこともあるらしい。火傷などの外傷により髪の毛が生えないということもある。
髪の毛が人間の心やモチベーションにどれほど影響を及ぼすものか、すこしだけ想像してみたところで自分のことのように感じるのはとても難しい。おそらく当事者ほどにその気持ちを理解するのは無理だろう。病や事故などと向き合い、付き合いながら生きていくだけでも大変なことだろうに、その外見で外へ出かけることすら躊躇ってしまう。「大事なのは中身」など空々しい。どうしたって奇異の目で見られるだろう。
もちろん人によってはファッションでスキンヘッドにすることもあるし、仏教などでは聖職者は
それでも髪の毛を失うということはときに生きる気力にも影響を及ぼす。笑顔を奪う。そう考えると髪の毛というのはとても複雑な意味を持つ存在だ。
理想の社会としては、髪があろうとなかろうとなんら引け目を感じることのない社会なのだろう。「老若男女問わず髪を失うこと」が「老若男女問わず眼鏡をかけるようになること」くらいなんでもないこととして受け容れられるようになれば、ヘア・ドネーションという活動はその役目を終えるのかもしれない。通学路ですれ違う小学生女児が眼鏡をかけていたところで私たちはなにも感じないだろう。「髪のない老人」と「髪のない女子高校生」の違いはなにか? つまりそういうことだ。
しかし今のところ私自身含め、そのような社会・価値観にはなっていない。まじまじと見つめることはなくとも初見ではぎょっとするだろう。彼らにしてみればそのたびに傷つき、自信を失い、家の外へ出ることすら苦痛になるかもしれない。
それがもし医療用かつらを自分の髪として楽しむことができ、合わせる服を選んだりお化粧をしたり、買い物や散歩に出かけられたり、学校へ行くことができたりするようになるならば、病そのものを治すことはできなくとも、髪を失ったという現実を変えることはできなくても、少しでも笑顔になることが増えたならば、それはとても意味のあることだと思う。そしてそれに自分の髪が役立てるのであれば、喜んで提供したいと思う。ヘア・ドネーションとは簡単に言えばそのような思いが根底にある活動である。
JHD&C(Japan Hair Donation & Charity、ジャーダック)はそんな髪の悩みをもつ18歳以下のこどもたちに無料で医療用かつらをプレゼントするというチャリティー運動をしているNPO法人である。
具体的にどのようなプロセスで行われるのかはオフィシャルサイトの説明に譲るとして、ここでは要点をいくつかまとめてみる。
- 寄付する髪の長さは31cm 以上(最低の長さ、これより長い分にはいくらでもOK)
- 余程のダメージヘア(引っぱったら切れるなど)でなければカラーリング、脱色、パーマを施した髪でも大丈夫らしい
- 寄付された髪のなかで実際に制作に使えるのは一部であるため、ひとつのかつらを作るためには30人分の寄付、場合によってはそれ以上の人数分の髪の毛が必要
- 2020年7月現在、寄付する髪の毛は自分で送付する必要がある
そうして私が初めてヘア・ドネーションに参加したのは2018年7月のこと。JHD&C のサイトから賛同美容室を調べ、地元から行きやすい「Hair and Spa (e)zou」に行った。
当時は代理送付が認められていたので、カットしてそのまま送付もお願いした。
そしてちょうど2年が経ったこの7月に、2回目の参加。
私のような「ヘア・ドネーションのために髪を伸ばしている」人はあまりいないそうで、多くは「好きで伸ばしていたけど、ばっさり切るこの機会に寄付する」とか「美容院に行きたくないがために伸ばしっぱなしで、何年かに一度ばっさり切るタイミングで寄付」というケースらしい。後者についてはなるほど、そういう人もいるのかという感じだった。たしかに美容院にできるだけ行きたくないという人は一定数いると思うので、もっと活動が広く一般化すれば良質な髪の提供が増えるかもしれない。
数年にわたり長髪を経験した私が(寄付できるほどに)髪を伸ばすために必要なものを挙げるとすればそれはただひとつ、「根性」である。長い髪でいることが大好きで日々の手入れがまったく苦にならないという人はもう特殊体質だと私は認定する。あんなに大変なことはない。洗髪はもちろん、乾かすのにも時間はかかるし、シャンプー剤やコンディショナーなど2~3倍は使うので非経済的。夏は暑いし、鞄を肩に掛ければ巻き込まれ、ヘアゴムなしでラーメンを食べるのは苦行、もはや罰ゲームと言っていい。料理の時など火を扱う際にもより気を遣う。
肩くらいまでの長さならどうってことはないのだが、肩甲骨にかかる頃からはもう人のためでなければやっていられない。
正直なところ大変なことばかりだ。それでも「誰かのための髪の毛」と思えば丁寧に扱おうという気になるし「代理育毛」と言えなくもない。切った毛束を眺めれば「この髪の毛はわしが育てた」という感慨もある。悪い気はしない。
何はともあれこれで2度ドネートしたので、達成感はそれなりにある。次回に向けて続けてまた伸ばすかは分からない。やはり少し疲れた気もするので(ドナーの育毛疲れ)、しばらくは休むかもしれない。長髪の苦労も忘れた数年後、また伸ばす気になったら寄付もいいなと思っている。
その頃は今以上にヘア・ドネーションが一般化しているといい。賛同美容室などといわず、どの店でもばっさり切る客が来たら「寄付します?」って聞くようになればいい。
実際この数年で認知度はずいぶん上がったと実感している。「ヘア・ドネーション」自体を知らない人ばかりだったのが最近は知っている・聞いたことがあるという人が増えている。「私もした」という人には出会っていないが「私の家族がしたことある」というところまではきた。これはもう「ドナー同士が偶然出会った記念ハグ」の射程圏内である。10年前に比べたらすごい進歩だ。
それは前述の JHD&C のサイトの賛同美容室検索で出てくるお店の件数にも如実に表れている。横浜市港北区でいえば2018年のときでさえ選択肢は少なかったのに、今では「近場でも結構あるな」という感じ。しかし街中に溢れる那由多の美容室の数に比べたらまだまだ少ないのも事実。布教する余地は十分に残っている。
合成すると双子ごっこができるのでおすすめ(2018年のときの Before & After)。
今回(2020年)は自分で送付。「品名:髪の毛」って知らない人が見たら結構なホラー案件である。